2023年度シンポジウム趣意書

「世界」を構想/叙述する

舩田 善之  荒川 正晴  南雲 泰輔  山内 晋次

 歴史を研究するにあたっては、なんらかの形で時間と空間を設定する必要がある。その設定された時間と空間の中に、なんらかの共通する要素や結びつきを見出した際、その特定の時間における特定の空間の範囲がある種の「世界」とみなされ、それを一つの立脚点として議論を深化させるためのさまざまな試みがなされてきた。その基準となるものは、気候や環境とそれに基づく人類の主たる生業、政治制度や文化の共通性・類似性、信仰されている宗教の広がり、経済的なつながりなどさまざまである。そして、研究者が使用する史料自身も、史料を残した当時の人びとが認識する「世界」を基盤として叙述されている。
 人類は、史料を残した人びとが認識したさまざまな「世界」と、その後現在に至るまで発想されてきたさまざまな「世界」との狭間で、時としてそれらを強く意識しながら、時として無意識に影響を受けながら、歴史を叙述し、そして研究してきたといってよい。
 日本の歴史学界の動向を振り返ってみても、さまざまな「世界」が構想され、議論や批判が加えられてきた。例えば、西嶋定生が体系的に提示した「東アジア世界」(同「総説」『岩波講座世界歴史』四(古代四 東アジア世界の形成一)岩波書店、一九七〇)は学界に大きな影響力を与えたとともに、その妥当性や有効性及びその範囲が議論となった。近年では、より広い範囲を指す「ユーラシア東部」(論者によって「東ユーラシア」「ユーラシア東方」など呼称とその定義や概念はさまざまである)によって、新たな歴史叙述が構想されてもいる。
 あるいは、デニス・サイナーによって用いられた「中央ユーラシア」は、日本の学界において、ヨーロッパ・アジアという二項対立的な見方を克服し、草原・砂漠・オアシス地域の人びとの歴史を主体的に叙述することができる枠組みとして受け入れられ、学界では定着してきている。かたや、「イスラーム世界」に対して、羽田正は、一九世紀ヨーロッパの東洋学によって「創造」され、ヨーロッパとイスラームという対立構図を強化することになったと論じ、さらにその概念の有効性に対しても疑問を呈する(同『イスラーム世界の創造』東京大学出版会、二〇〇六)。
 歴史におけるさまざまな「世界」は、歴史の叙述や研究において、不可欠の前提である。そして、上述のように、新たな研究視角をもたらすものであると同時に、その妥当性や有効性がしばしば議論や批判の対象となる。そこで今年度の大会シンポジウムでは、「「世界」を構想/叙述する」という統一テーマのもとに、歴史学において「世界」を構想し、叙述することそれ自体、構想/叙述された「世界」の具体的な特質、ならびに、それらによってもたらされる視角や得失について議論を試みる。それぞれの専門分野において、歴史における「世界」について論じてきた三名の研究者に登壇を願うこととした。
 第一報告は、「ユーラシア東部論再考―「世界」の一体化への胎動を如何に考えるか―」と題して、荒川正晴(大阪大学名誉教授)がおこなう。近年、歴史関係の論著で「ユーラシア東部」あるいは「東部ユーラシア」などをタイトルに冠するものは多い。それぞれ検討対象に応じてその空間設定がなされ、論者によってその地理的範囲は一様ではないが、ほとんどは陸域の西方の広がりをパミール以東に限定している。これに対して荒川は、パミール以西に広がる西トルキスタン〜インドの南北に続く一帯を「ユーラシア東部」を構成する重要な地帯とみなしている。この問題については、既に『岩波講座 世界歴史』六(中華世界の再編とユーラシア東部 四〜八世紀、岩波書店、二〇二二)の展望で取り上げられているが、本報告では四〜八世紀という枠を大きく越えて、紀元前後よりモンゴル帝国成立期までをも視野にいれる。このように時間的なスパンを拡大するのは、一三世紀のモンゴル帝国の成立を「初期グローバル化」と捉える見方があり、それ以前の時代についても「世界」の一体化の動きとの関係が問われているからである。こうした問題意識に立つとき、荒川が提示した「ユーラシア東部」は如何なる意味をもつ空間となるのか、あらためて考察する。
 次に、第二報告は、「硫黄流通史研究からみた「ユーラシア世界史」の試み」と題して、山内晋次(神戸女子大学)がおこなう。山内は近年、一〇~一六世紀頃の時期を対象として、火薬原料硫黄の汎アジア的流通状況を明らかにすべく、研究を進めている。しかし、これまでの検討範囲はいまだ、ほぼ東アジア地域(日本列島・朝鮮半島・中国中枢部)に限られており、全体的な状況はなかなかみえてこない。ただ、そのような限定的な研究とはいえ、一四世紀頃を境に火薬原料硫黄の汎アジア的な流通構造がおおきく変化していった可能性もみえてきた。そして、このような流通構造の変化には、中国からアジア各地への火薬・火器技術の拡散という歴史動向が深くかかわっている、と推定するに至った。そこで本報告では、これまでの報告者の東アジア地域に関する研究を基盤としつつ、それに中央アジア・東南アジア・西アジア・ヨーロッパなどの歴史状況を接続し、さらにそのような広域状況を火薬・火器技術の拡散の歴史と同期させることで、硫黄流通史研究からみた「ユーラシア世界史」の描写を試みてみたい。
 そして、第三報告は、「ローマ帝政前期における「世界」の叙述とその特質―ポンポニウス・メラ著『地誌』の構想について―」と題して、南雲泰輔(山口大学)がおこなう。ローマ人は「世界」をいかに構想し叙述したか。ローマ帝政前期において、帝国支配は古代地中海世界の政治的・経済的統合を現出せしめ、「人間の住む世界」にかんする知見は古代ギリシア・ヘレニズム時代の遺産を継承しつつ西部ユーラシアへ、また間接的ながら中国へも及んだ。この広大な「世界」を記述すべく、ローマ人は帝国全土に敷設された街道を通じ「世界」の線的な認識方法を展開したが、大地や海洋の形状認識はヘレニズム地理学の枠組みに強く規定され続けた。事実、ストラボン(前一~後一世紀)やプトレマイオス(二世紀)などローマ時代の代表的地理書の多くはギリシア語で書かれたのである。かくのごとき状況のなかでポンポニウス・メラ(一世紀)によるラテン語地理書『地誌』は、「地誌」と「地理」の狭間の史料として独特の位置を占める。本報告では、メラ著『地誌』の分析からローマ地理学による「世界」構想・叙述の特質について考察を試みる。
 以上の三報告は、一見すると、関連性を相互に見出すことが困難に感じるかもしれない。しかし、企画者としては、むしろ「さまざまな」「世界」を提示することを狙っていると主張したい。荒川報告では、「ユーラシア東部」という比較的新しい「世界」の概念が、歴史叙述においてどのような有効性をもつのかが論じられる。南雲報告では、逆に対象とする史料(地理書)において「世界」がどのように構想・叙述されているのかを考察することによって、それが当時の、ひいては現在の歴史叙述にいかに作用しうるのかについても論及される。山内報告では、硫黄という「モノ」を起点にどのような「世界」が構想・叙述されるのか、その可能性が探究される。この三報告によって、時間軸としては紀元前一世紀から後一六世紀までを対象とし、またマクロ・ミクロ双方の視点からさまざまな「世界」を議論の俎上に載せることが可能となると確信する。当日のシンポジウムでは、これらさまざまな「世界」に対して、日本史・東洋史・西洋史の枠組みを越えて活発な議論が繰り広げられることを期待している。
 なお、今年度のシンポジウムは、実に四年ぶりの対面開催となる。本会も、他の学術団体の例にもれず、COVID-19の影響を免れず、三年前の二〇二〇年度大会は中止し、一昨年度・昨年度の大会はオンラインで開催した。オンライン開催自体にはメリットも多く、われわれはこの恩恵を受けてきた。他方、対面開催にも、オンライン開催にないメリットがあることを認識したのも事実である。今年度は、バーチャルの「世界」からリアルの「世界」に場を戻して開催される広島史学研究会の大会会場まで足を運んでいただき、さまざまな角度から、御意見を賜れば幸いである。